その人の物差しで見て、認めて、褒める

人間、生まれたばかりは一人で何も出来ず。
親や誰かの助けがないと、どこにいるかも分からないし、服も着れないし、何も飲めない。

今こうして年齢を重ねて、言葉を覚えて生きれているならば、誰かしらの助けを得て生きてこれたということ。

なので本能的に人間は、愛情、認知、承認を覚えていて、それを欲しているんだろうなと思います。

今生きている現実社会はどんな世界だろうか?

結果を出すため、成果を上げるため、成長のために、良いことよりも
「今、できていないこと」
「今、ダメなこと」
を探されて、そこを指摘される。

そのできない部分、ダメな部分が、
「指摘したあとにどう変わったか?」
の視点で見られることが多いんじゃないかなと思います。

道徳的にダメなことをしたなら、叱られることはある。

叱られた瞬間、そのあとしばらくは嫌な気持ちが残るかもしれないが、人として生きていく上で必要な心がけや言動であるように正されたものなので、納得感は得られるはず。

一方、結果を出すため、成果を出すために、今ダメなことやできていないことを言われ続けるのはどうだろうか。

自分の成長のためと言い聞かせていても、なかなかしんどくないか。

どこまで気力が続くか?
気を抜いたら滑り落ちてしまう坂を全力で駆け上がっているような感覚ではないか。

もともと愛情や認知、承認が必要な生き物だから、それに関連する言葉を投げかけてあげれば、伝えてあげれば生命力が増すはず

仕事において愛情表現は難しいと思うけど、

「その人が、昨日よりもできたこと」
「昨日と変わって前進していること」

を認めて、伝えてあげる。

もしその成長によって自分自身に何か恩恵があったのであれば、感謝とともに伝える(褒める)。

これならできるのではないか。

他人から言われたことは、自分には見えていない世界な分、受け取った側も気づきが多く心情的にもうれしくなるはず。

ちなみに、できたこと、変わったこと、前進したことの大小は問いません。
わずかな変化でも、変化は変化なので、それを伝えてあげればよい

出来た、変わった、前進したというものは、対象となる相手の物差しで考えてあげて。
自分の物差しを使うと、自分と比較してしまうので、比較的厳しい系の人だと
「あれじゃあ全然できたことにはならん!」
となってしまうので、いつまでたっても相手に伝えられない。

あくまで相手の物差しを使って、その人の変化を見ること
これが大事だなと思っています。

そのわずかな変化に気付いてもらい、そして伝えてもらった側は、うれしい。
「いやいや、そんなことないっす。まだまだっす。」
と、口では言っているが、内心うれしい。はず。

この積み重ねが本人の自信となり、更なる変化へのアクセルを踏み出していく。
そして、できないこと、ダメなことも自分で気付いて修正するようになる。

この状態になるまでのスピードは個人差がありますが、この状態になってからの人は、指数関数的に伸びていくように感じています。

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この記事を書いた人

組織の再生士 / アーティストを育てるアーティスト

ロボットベンチャー企業で組織作りを担いつつ、地域おこし・地域コミュニティの活性化を行っています。