行動を変えたいときは極端にやってみる、そしてそのままやり切ってみる

「あーすればいいのになぁ」

「こうしたらよくなるのに…」

「なかなか変わらないなぁ…」

と言ったボヤキやつぶやきを、他人にも自分にもしていることが日常的にあると思います。

ひとこと伝えてその通りにやってくれたら(変わってくれたら)とても楽ですが、人間それぞれに意思があるので、なかなかそうはならない。

それは自分自身に対しても同じで、いきなり

「こうしなさい」

「これじゃダメだからここを変えなさい!」

と言われても、

「いや、そう言われてもさぁ」

と、心の中で抵抗する声が響き渡るので、やっぱりすぐにやる、変わるというのは難しい。

一方、そのように言われたということは、

「その人から私はそう見えている、そう捉えられている」

ので、事実。

でも、それが自分の成長にとって本当に必要なのか、そうではないのかという取捨選択はして良いと思っています。

そうしないと、自分ではない自分が出来上がってしまうから。

で、自分にとって有用だと判断すれば

「じゃあ、言われたようにやってみようか(変えてみようか)」

と、重い腰(?)をあげて取り組み始めます。

するとここで、高校野球時代に監督がよく使っていた言葉を思い出すわけです。

変えるときは思い切り、極端に変えてみろ!

例えば、外野手がホームへ送球するとき、キャッチャーがジャンプしても取れないくらいにボールがいつも高く浮いてしまう。

その外野手に対して、

「地面に叩きつけるくらいで投げろ」

と。それこそ自分の10m先でバウンドさせて、そこからキャッチャーまでゴロで届いても良いと。

「え?そんなゴロ送球ありですか?」

「カッコ悪くないですか?」

と思いますが、カラダに染み付いているクセなので、直そうとするときは思い切り、極端に振り切ったことをやらないと、カラダが違いを認識できないとのこと。

1回極端にやってみると、今までのクセとのギャップを最大で認識できるので、変えるためにはどこを変えないといけないのかが認識できるようになる。

そして1回で止めずに、しばらくやり続ける。やり切ってみる。

すると、極端なところから「ちょうど良い」ところへ動きが調整されていくので、いつの間にか変わっている。

変えることができている。

高校野球時代はよく理解できておらず

「なんでこうしないといけないんだろうか?」

と思っていましたが、それから15年の時間を経てようやく意味がわかりました。笑

監督すいませんm(_ _)m

意味を理解した30代中盤からは、この極端に変えることを意識的にやるようになりましたが、私の体感的に、今の状態から少しずつ変えれるところを変えていくアプローチだと、結局変わらないなと感じています。

どうしても心地よい場所をカラダが知っているから、そこから少しだけ遠いところに行っても、すぐ戻れてしまう。

で、戻ってしまう。

でも、変えようと思ってちょっと遠くへ行くけど、また戻る…

その、行ったり来たり。

そのうち遠くに行けるけど、それがいつになるかは本人の意識(覚悟)次第。

だから、最初から思いっきり遠くへ行ってしまった方が、心地よい場所が見えなくなってしまうので、帰ろうにも帰れなくなる。

遠くでそのまま生きることを選ばざるを得なくなるので、勝手に変わってしまっている。

こんなイメージでしょうか。

「極端にやってみる」

ということは、実際にやるには結構な勇気がいります。

今までと全然違うことを唐突にやり始めるのだから、それを目の当たりにした人たちから

「おいおいどうしたーー?」

なんて反応がくることに、恥ずかしさとか怖さを感じる。

でも結局、一回やってしまえば慣れてしまうのが人間なので、自分の過度な思い込みなだけだったりします。

なので、あまり気にしないで、とりあえずやってみる。

そして、やり切ってみる。やり抜いてみる。

「変えたいときは、まずは極端にやってみなよ。そのままやり切ってみなよ。」

と、自分に投げかける。

部下や同僚にも、投げかける。

やってみれば、必ずカラダで理解できると思います。

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この記事を書いた人

組織の再生士 / アーティストを育てるアーティスト

ロボットベンチャー企業で組織作りを担いつつ、地域おこし・地域コミュニティの活性化を行っています。