「あの人は、○○ができないよね」
「彼の○○なところが、悪いんだよね」
「彼女は○○がほんと、ダメ」
「あいつ、イケてないんだよなー」
どんないい人、優しい人でも、自分以外の誰かや何かに、負の感情をぶつけたくなるときがあるはず。
今はなくても、過去に1度や2度はあったと思います。
この負の感情、自分の存在を隠して発射できる場所を見つけると途端に攻撃性を増します。
見つからないことを良いことに、数と攻撃性は増え続け…
見つからない限り、撃ち続ける。
負の感情を伴った言葉を浴びせられる側は、それが誰から発せられているのかは分からず。
誰かが分からないから、
「一体誰からだろうか…?」
「こんな風にされることを自分はどこかでしただろうか…?」
理由の分からない理由探しを繰り返すことになり、このストレスが少しずつ心身を蝕んでいくことになる。
「ま、誰かわからないから放っておこう」
「文句があるなら、直接言ってくればいいじゃん。言えないなら気にしないでいいや」
こうやって跳ね返せる人もいますが、そうじゃない人にとっては本当に苦痛。
負の言葉は内容がどんなに小さくても、受け取った相手の中にはじっとりと残りやすく消化されにくいので、心のなかにそっと根を生やして育ち始める。
負の言葉を受け取った本人の不安や心配の感情をエサに、どんどん大きくなる。
「とりあえず言わせておけばいいや」
こういう風に自分に言い聞かせていても、負の言葉がその後も撃たれ続けると、どうしても気になる。
気にせず平常心でいようとしても、本人の心の中では根を広げ続け、本人の不安や心配を養分にして、すくすくと成長している。
そして吸い取られている本人は、少しずつ弱っていき…
本人が発する言葉に棘が生えたり、負の感情をそのまま表現したりするようになる。
負の感情の連鎖。
相変わらず、発信している相手は誰か特定できていないから、負の言葉を受け続ける状態に変わりはなく。
真っ黒な雲に覆われた空の下、終わりなく雨に打たれているような心境。
だけどそんなとき、自分を認めてくれるひとことを誰かからもらえると、途端に救われる。
「頑張ってるの知っているよ」
「いい仕事しているよ」
「○○なところが、とてもいいよ」
「応援しているよ」
それは、黒い雲の割れ目から差し込む、白く強い光のよう。
負の感情に侵され始めていた人を救う、温かさに溢れた光。
じんわりとカラダ全体に広がっていき、優しさを取り戻し、勇気を手に入れる。
誰かに投げかける「優しいひとこと」が、誰かにこんなインパクトと変化を与え、誰かを救っている。
そして、誰かからの「優しいひとこと」によって、自分自身も救われている。
先日実際に、優しさが循環する世界と、負の感情が連鎖する世界を一緒に味わうことがあり、「優しいひとこと」や「認めてくれる人」の存在が、人間にとっていかに大きいものなのかを再認識した次第です。
たったひとことで人の心は救われる。
ホント、その通りだなと思いました。