今日はキャリアコンサルタントの有資格者たちと活動しているプロジェクトのミーティングがありました。
その中でテーマとして上がったのが
「人を元気付ける方法」
東京都が飲食店の営業時間を通常に戻したり、プロスポーツの観戦者規制も緩和されたりと、コロナ前の状態へ戻っていくような流れがあり。
今まではコロナ渦で激変した環境へ適応するため、ずっと力を入れたままの生活だったものが、少し緩むような感じでしょうか。
とにかく緊張させたままの状態だったので、少しの安堵からどっと疲労感というか無気力感が溢れ、引っ張り続けて伸びた輪ゴムのように
「さあ改めて頑張るぞ!」
という気力がなかなか沸いてこない…
そういう人が周囲に散見されるようです(ミーティング参加者の中にも、この状態になってしまった人がいました)
こんな話の流れから
「人を元気付ける方法ってどんなものがあるかな?」
と話すことになり、その中で私が考える「元気付け」が興味深かったようなので、ここに書き留めておこうと思います。
まずは「自分を元気付ける方法」。
(人を元気付ける方法がテーマですが、先に「自分への元気付け」から話が展開してったので…汗)
ミーティング参加者が言っていた
「元気を出したいときに聞く音楽を予めもっておいて、それを聴く」
とか
「運動をして汗とともに悪いものを流す、リフレッシュ!」
ということは、たまたま私も元気付ける方法として実践していました。
その他にということで、私は
「自然のある場所へ行って、自然を感じる」
ということを元気付けとして行っています。
山、川、海どれかに直接触れられる場所へ行って、ただその空間に浸る。ぼーと景色を見る。
人間はもともと自然の中で生まれ、自然とともに生きてきた生き物ですから、自然に触れれば五感が反応するんです。
その反応に意識を向ける。
とにかく1時間でも2時間でも、眺めて、嗅いで、触って、聞いて。
それによって湧き上がってきた思考と感情を認識する。
まずは、ただ、ただ、見つめてみる。
「あー、こういうこと考えてるなー。こんな感情があるなー」
といった感じです。
そこにマイナスのインパクトを与えるものが出てきても、それをどこかに追いやったり見ないようにするのではなく、「自分の中にあるもの」として受け取る。
良し悪し、好き嫌いをつけずに、ただあるものとして認識する。
しばらく続けていると、自分に対して心の声が響いてきます。
「まぁいいじゃない」
かもしれないし、
「お前、よくやってるじゃん」
かもしれない。
「とにかく頑張れ、自分!」
のような、前に進める熱男系メッセージじゃなくて良いんです。
自分に対して投げかけられたこの言葉を受け取れば、自分の中に湧き上がってくるものがあり、そのエネルギーによってまた歩き出すことができる。
こんな感じです。
元気がないときは、大体頭か心にどんよりしたものを抱えていることが多く、それを友人などに聞いてもらってすっきり→元気を取り戻すという方法もあります。
でも、このどんよりしたものは負のインパクトとして相手にいってしまう。
なので、相手もどこかでその負を解消するために、誰かに渡す…負の連鎖が止まらなくなるんですよね。
だから、こういう感情は、自然を感じながらそのまま自然の中に置いて、自然に浄化してもらえばいいよね、と。
こんなことを話しました。
ここまで話していて、弱っている感じの人から相談を受けると、
「元気出そうぜ!」
とか
「こんなことしてみたらどう?」
と、すぐアクションを提案してしまうことって良くあるよね!という話になり…
そのとき
「まず、俺自身は元気か?」
と。
相手を元気付けるために、自分自身が元気な状態を装ってはいないかな?と。
先ほど書いた「自然に任せる・委ねる」ことから「自分が自然体でいられる状態」を作れれば、その自然体から湧き上がるものをそのまま体現していけるので、相手の話をただ聴いて、共感するだけでも相手にプラスのインパクトが伝播(元気が伝わる)していくんじゃないかな?と思っています。
相手の状態を認知して、共感する。
そして相手が前に進もうとする意欲を、最大限応援する。
この関わりで、相手は
「自分を認めてくれている人がいる」
と感じ取り、
「何かあっても、この人は私を認め、応援してくれている」
という勇気を得て前に進んでいくようになります。
自分自身がどこかに弱っている部分を抱えながら、相手を元気にさせるアクションを自分がしたり、相手に提案しても、結局は相手に響かない。
できるだけ自分らしくいること、自然体でいることが、何より相手を元気付ける(=勇気付ける)方法なんだねということが、この話のまとめです。