パッションは勝手に湧き出る泉だから、止めない、塞がない

先週末、大地(森)の再生活動を展開しているCoToLiの森で、次回以降のイベントについて現地でブレストすることとあわせて、「大人がパッションをそのまま実現していける世界にするには?」というテーマも扱ってみることにしました。

このテーマを扱ってみようと思ったのは、友人からのお誘いがきっかけ。

↓イケマティックサーベイ:【InterList Boot camp】と言う名のパッション見つけちゃう系プログラムhttps://note.com/ikematic/n/ne804a2aee324

プログラムにするなら、やっぱ自然の中がよさそう。

自然の中に入ると、自然と自然になれるので、自分の中に湧き上がることを認識しやすくなるはず。

その湧き上がってきたものを、

「でも、こんなことやると周りからどう思われるか…」

「これをやっても生活できないしな…」

「そもそも、よいことなんだろうか…」

などなど、自ら作り出した社会の判断軸にあてずに、結果や評価を気にせず「ただそのまんまやってみる」という場で表現してみれば、本人のパッションを実現していくためのきっかけ作りができるんじゃないか?

その仮説を実証すべく、まず自分たちで自然の中でやってみよう!というのがここに至る経緯です。

CoToLiの森はこんなところです

さて、実際に森に入ってみて思ったこと。

足元から伝わる土や草木の感触、木々の間を抜ける風、それに乗ってほのかに香る木や土や空気の匂い。

絶えず聞こえる、川を流れる水の音と、鳥のさえずり。

今、自分たちを覆う全てが呼吸をし、絶えず動き、生きている。そして変化し続けていることに気付く。

日頃、コンクリートで固められた平らで角張った世界と、時間通りに動いていく交通や仕事や社会のシステムがいかに均一で味気ないものであったか。

便利ではあるが、あたたかみがない。優しくない。

そんな感情を各自が持ち、その場にいるみんなで共有することができました。

人間は猿から進化してきたとすると、僕らの遺伝子の中には森での生活が刻まれていて。

だから、こうして森の中に身を置くと、その大地へと意識が自然と向いていくんじゃないか。

故郷へ還るような感触というか、遺伝子が求めているような。

森にいくことで、社会で造られたシステムに動かされている状態から開放される。

そうすると、自分の思考にスペースが生まれる。さらに、考えるための時間のスペースも生まれるから、

「自分は何なのか、何をしたいか」

という風に自分自身(内面)へ意識が向いてくるようになる。

そのとき、湧き上がってくる想い、考え、感情が、きっとその人にとってのパッション。

周りがどう思うかとか、それを実行したときの成功と失敗と評価とかは考えずに、ただただ湧き上がるパッションを認識すればよい。

「わたしには、こんなパッションがあるんだなー」と、受け取ればよい。

そして、そのパッションを実現するために「自分ができると思うこと」を、まずはやってみてほしい。

きっと、悪い気はしないはず。

きっと、気分がいいはず。

誰も見ていないところでひっそりやってみることでもいい。

そのあとに、1人でニンマリして、満足感に浸る。

それで、いいんだと思います。

先行き不透明な時代で、答えは自分で見つけていかなければいけない。誰かや何かを待っていても、自分のもとにはやって来ない。

一方で自分のパッションは勝手に湧き上がってくるものだから、止めない、塞がないで、見つめ、向き合い、行動していく。

この先に、その人自身が求めていた、納得できる答えがあるように思います。

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この記事を書いた人

組織の再生士 / アーティストを育てるアーティスト

ロボットベンチャー企業で組織作りを担いつつ、地域おこし・地域コミュニティの活性化を行っています。