目標を達成することはすばらしい。
抜きん出た成果を上げることもすばらしい。
達成し続けることはすごい。
成果を出し続けることもすごい。
求められる役割を全うし続けることもえらいと思う。
では、これらができない人はダメな人なのだろうか?
良くない人、悪い人なのだろうか?
働く社会には定められた基準があるから、その基準で良し悪しを決められているだけではなかろうか。
じゃあ、この基準がなかったら、その人はどう見られるのか?
きっと、その人なりの個性に目がいくはず。
特徴とか、性格とか、考え方とか。
基準を外すと、その人そのままが見えてくる。
基準を持つと、その人の良し悪しを勝手に決めている。
勝手に決めているということは、周りの人も自分に対して勝手に良し悪しを決めているということ。
良し悪しに塗れた世界でお互いに生きていくのはしんどくないか?
その人そのものを見て、認め合って生きる方が嬉しくないか?
そう思う。
それから、
周りが見る自分を勝手に想像して、勝手に作り上げて、頑張っていやしないか。
心はイヤだと言っているけど、無理して働いていることはなかろうか。
役職とか年収とか成果とかに囚われて、他人より上に行くこと、上にいることへ躍起になっていやしないか。
疲れた心身を毎朝奮い立たせているんじゃないか?
それでも頑張ること、頑張り続けることは、自分の心や技術の成長に繋がるとは思うが、いつまでも続けていけるものだろうか。
どこかのタイミングで、「頑張りすぎない等身大の自分」を選択できないものだろうか。
そう思う。
何かができない
誰かよりできない
私には何の取り柄もない
あの人にあっても私にはない
できない自分が悪い
そういう風に思わなくていい。
考えなくていい。
今こうして生きていることで、あなたを必要としている人がこの世の中にはいる。
あなたと話した誰かは、あなたに救われたと思っている。
あなたをあなたとして見ている人がいる。
あなたには、あなたならではの役割がある。
だから、生まれたことに意味がある。
できないことがあって良い。
できないから悪い、ダメなんてことはない。
何もないなんて、そんなことはない。
あなたが生きてここに存在していること、それ自体が価値。
そう思う。