知識で語るな、知恵を語れ

人はなにかしら、知らないことがある。
常に何かしら知らない状態からスタートして、何かしら新しいものを知る。

知らないものを知ったときに現在の自分とのギャップを認識し、それを埋めるための努力を始める。
または、そのギャップを埋めることは自分には不要(このまま知らないままでもよい)と判断して、そのままにする。

こんな風にして成長・適応していると思います。

世の中にはたくさんの本があり、インターネットでいつでもどこでも情報が拾える。
何かを知りたい、学びたいと思えば、何かしらの手段で手に入れられる。

これらの情報を見る・聞くことで大枠から詳細を理解して話せてしまう人と、なかなか理解できないひとがいる。

わたしの場合、目と耳からの情報だけだと「なんとなく」の領域から抜け出せないので、実際に動いて体験して、そこで得た気づきと紐付けることでようやく
「あ、こういうことか」
と理解を深めていくタイプだと思います。

なので、本やWEBで情報を読んだり拾ったりしてすぐに他の人へ教えていけたりする人は凄いなと、いつも思います。

自分も試しにやってみますが、体感値・体験値がないのでどうしても浅く、自分の言葉で話せている気がしません。

これってきっと、
「知っている」レベル。
知識の状態。

だから、言葉だけの発信になるから、軽い。
どれだけ知識として集めても、言葉という空気のような軽さのまま伝わってしまう。
相手が受け取るインパクトはきっと軽い。

これでも良いけど、カラダの内側から発信して、相手がズシッと重みのあるインパクトを受け取ってくれるようにしたいとも思う。
軽さの反対で、重みのある言霊

そんな言霊にするには、
自分が体験して気付いたこと、その気付きから学んだこと
これを言語化していくことが必要かなと。

体験したことと、自分の知っていることを紐付けて、自分なりに理解する

「これってつまり、こういうことなんです。
だから、こうするんです。
こういうことが必要なんです。」

という風に、自分の言葉を使って、自分の表現で伝えられるようにする。

知っているではなく、「わかっている」状態。
知識ではなく、知恵に変わった状態なのかなと思います。

とあるプロジェクトのやり取りをしていたときにふと、師と仰ぐ方がよく口にしていた

「知識で語るな、知恵を語れ」

というメッセージが降ってきたので、自分なりの解釈を書いてみました。

世の中には、情報処理と発信能力に優れた人はたくさんいる。
その情報を気づきや学びに変えている人たちがいる。

自分がそのような人たちと同じことは難しいが、自分自身で体験・経験してわかったことは、自分の周りにいる誰かにとって有用になる

また逆に、誰かが体験・経験してわかったことが自分にとって有用になる、これも然り。

膨大な情報発信に追われず、知恵の交換を。
誰もが何かしら持っている知恵に意識を向け、その知恵を受け取る。
その知恵を自分で動いて、気づいて、学ぶことで、自身の体験・経験値に変える。
こうして新たに自分自身の知恵となったものを、また誰かと交換する。

誰もが価値を発揮する世界になるなと思いました。

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この記事を書いた人

組織の再生士 / アーティストを育てるアーティスト

ロボットベンチャー企業で組織作りを担いつつ、地域おこし・地域コミュニティの活性化を行っています。