先週末に父親がゴルフ中に脳出血で倒れ、病院へ運ばれるということが発生しました。
救急隊から母親の携帯→私へLINEという風に連絡が来たのですが、
「今救急車で○○病院へ搬送中です」
という情報が第一報だったので、症状がわかったのは母親が病院へ到着して医師から話を聞いたとき。
私まで症状の連絡が入ったのはその日の21時過ぎでした。
父親も気づけば70歳なので、いつ何が起きてもおかしくないと頭の片隅では考えていながらも、いざそれが現実に起きるとやっぱり動揺や不安が色々と襲ってくるんだなということが分かりました。
そして、両親がたまたまありがたく健康であったため、
「もし何かが起きて介護が必要な状態になったらどうするか」
ということは、今まで全く具体的に考えていなかったことにも気付けました。
家族や兄弟で話しておくきっかけになったので、どこかで話し合っておこうと思います。
さて今回の件、父親の症状は幸いにも軽い脳出血で済んだようで、病院搬送時に血を抜く回頭手術は行っておらず、出血が自然に吸収されていくかたちで経過を見ながらリハビリ(言語・運動・感覚など)をどんどん進めていくこととなりました。
搬送時、本人に意識はありこちらの話していることは理解しているのですが、呂律が回らずひとつの言葉がギリギリ聞き取れるような状態。
右手足が麻痺で全く動かないという状態でしたが、搬送翌日には出血が止まり回復に向かい始めたようで、早速離床(車椅子で移動)。
言葉も若干呂律が回らないときが見受けられるも、会話は今までと変わらずでき、右手足も自分の意思で動かせるところまで回復。
リハビリでモノを摘んで所定の位置へ動かすということを行えているようですが、ときどきフッっと手に力が入らなくなってストンと落ちてしまうことがあるようです。
ただ、これらも今後のリハビリ(数ヶ月リハビリセンターに入院して実施)と退院後の継続的な運動によりどんどん回復はしていくとのことなので、本人には前向きに努力してもらいたいなと思った次第です。
搬送から数日経って、発症当時の状況が分かったのですが、本人は朝のラウンド中からフワフワする感じがあり、前半の9ホールでゴルフは切り上げてしばらく休んだのち、解消しないから車で帰宅し始めたとのこと。
そのゴルフ場は何度も来ていたところで、かつ仕事でも長年通っていた地域だったので地理感があり。
運転中に右足の感覚もなくなってきて、目眩もひどくなり、どんどん意識が遠のいていく感覚になったようです。
「あと少し行けばガストがある(実際は、夢庵)」
通い慣れた道であったので、そこの駐車場に停められれば何とかなると思い、意識朦朧とする中でとにかくそこまでは絶対に行こうと思ったとのこと。
その夢庵の駐車場へ入れて、ドアを開けて外に出たところで完全に動けなくなり、その状態を見つけた店員さんが救急車を呼んでくれました。
そして一番近くの病院へ搬送されたのですが、そこが脳卒中を専門に扱っている救急医療センターでした。
この一連のプロセス、とにかく運が良かったと感じます。
・自宅で発症していたことも考えられるが、もし自宅だったら早期発見できなかったかも知れない。
・自宅の周辺には脳卒中を扱える病院がない。
・車で移動中に意識を失っていたら大事故になっていた可能性が高い。
・行き慣れた場所であったため、カラダが覚えている感覚で運転ができた。
・夢庵の駐車場に入った時間がランチタイムを過ぎていたので、とりあえず車を停めるスペースがあった。
・この夢庵、常にお客さんの出入りがあるお店だったので、駐車場にお客さんがいてすぐ発見された。
・症状自体が奇跡的に軽かった。
挙げてみるとこんなところです。
いくつも運の良いことが重なっての今。
そしてこの件を関係する人たちへ知らせていったところ、リハビリ先入院の調査や手配、保険の使い方、退院後の自宅での過ごし方など、色々な人が情報やヘルプを次々に出したり動いてくれることを見て、人の繋がりのありがたさを痛感しました。
父親は常に誰とも壁を作らず、人の困りごとやお願いごとに対して丁寧に対応してきた人。
人に害を与えるようなことはせず、人との付き合いを大事にしてきた人。
こうして積み重ねてきた「徳」が、今回のように大きな問題が起きたときに活かされたのだと思います。
これを間近で見て、「徳を積み続ける」ことの大切さ、ありがたさを再認識した次第です。
利己ではなく利他。
出会った人への尊重と感謝。
毎日、続ける。
見返りを求めず、そして期待せず。
人との繋がりを大切にし、人のためにできることをする。
与え続ける。
これにより小さな「徳」が、雪のように少しずつ積もっていくのでしょう。
VUCAな時代を生きるためには、個の力が大事と言われますが、個の力だけではダメだなと。
個を持ちつつ、人を尊重し、人とのつながりを大切にして生きていく力が必要だと、思いました。