親しき仲の怒りの中にも礼儀あり

人が怒るとき、そこには理由がある。

大事にしていたものを、大事にしてくれなかったから。

見てほしいものを、見てくれなかったから。

強い想いを持ってやっていたことに、蓋をされたり邪魔をされたりしたから。

社会には様々な背景や価値観を持った人たちがいるから、相違が生まれて当たり前。

だから、怒りたいときもそれなりにある。

実際に怒りの感情が湧き上がってきたとき、その怒りは誰かに対して表現され、相手との関係性の深さによって、怒りの出方は変わる。

親しい間柄であるほど、ありのままの怒りが出てくるだろう。

さて、その怒りには、どんな感情が潜んでいるだろうか。

悔しさ、悲しさ、辛さ、やるせなさ、情けなさ。

これは相手に向いているようで、実は自分に向いているもの。

相手を非難したり、批判したり、打ち負かそうとしたり、思ってはいないか。

相手を攻撃するような言葉を使ってはいないか。

攻撃的な感情を含んだ怒りは、相手を萎縮させるだけ。

または、相手の攻撃的な感情を引き出すだけ。

もともと、自分の何かを踏まれたから怒ったはず。

今、その状況を打破したい、変えたいから怒ったのではなかったか。

それが攻撃的な怒りで、解消するのだろうか。

表面的には解消したように見えても、相手に与えた傷は深く、いつまでも残る。

親しい間柄であったとしても、攻撃的な怒りを受けた相手とは、それ以前の関係性に戻ることはない。

ずっと、心に破片が刺さったままの関係性になるだろう。

今までのように、助言をしてくれるだろうか。

意見をしてくれるだろうか。

サポートしてくれるだろうか。

笑ってくれるだろうか。

社会は、仕事は、人との関係性で成り立つ世界。

色々な人がいるから、怒ることもある世界。

人は感情を持つ生き物だから、怒ることを抑えなくてよい。

だから、怒るときは怒ればよい。

だけど、礼儀は必要だ。

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この記事を書いた人

組織の再生士 / アーティストを育てるアーティスト

ロボットベンチャー企業で組織作りを担いつつ、地域おこし・地域コミュニティの活性化を行っています。