妄想会議

こんにちは。

10月から「妄想会議」なるものを始めました。

9月に参加した地元活性化に向けたとある打ち合わせで、長年地域のために尽力されてきたリーダーが

「ときどき妄想会議をやっているんだよ」

と言っているのを聞いて、

「なんだそれは!?」

と興味を持ったのがきっかけです。

この「妄想」という言葉をWikipediaで検索してみると、

その文化において共有されない誤った確信のこと。妄想を持つ本人はその考えが妄想であるとは認識できない(病識がない)場合が多い。

とのことで、精神医学用語のようですが、説明の最後の方には

日常的な会話でも用いられることもあり、その際はいかがわしい考えや空想を表し、必ずしも病的な意味合いを含むわけではなく軽い意味で使われている。

という記載があり、私の中にあった妄想のイメージはこちらの方が近いものでした。

「いかがわしい考えや空想」

と聞いて、いかがわしいものを想像してしまいますが、ここでいう「いかがわしい」とは恐らく

「一般常識にはまらない、ぶっ飛んだ思考や言動」

のことをそう表現しているのではないかなと思っています。

日本人として日本で生き、眺めてきた日本の世界では、自分の妄想を表現することは

「枠からはみ出るもの」

と捉えられがちで、ときには人格すら疑われてしまいそう。

小中高(大学も?)と、正解を言うことや型通りにやることを良しと教育されてきたので、そこからはみ出ることはNGとなり、妄想を言いにくい環境になっているように感じます。

でも、今世の中にある製品やサービスは、

「今この世の中にはないけど、こういうのがあったら良いな。」

「こういうのが必要だと思う」

と言う、誰かの妄想から生み出されてきたのではなかろうか?

その妄想は直感的で、証明するためのロジック(根拠)なんて考えずに出てきたものだったのではないかと思います。

その誰かの妄想のおかげで、私たちは今、便利と思えるモノやサービスに日々お世話になっている。

妄想、なんてありがたいものなのでしょう。

言わずに閉じ込めておくなんて、もったいない。

そう思いました。

試しに自分自身に目を向けてみれば、五感から得たインプットに対して頭や心が何かしら反応をしていて、

「ああしたい」

「こうしたい」

「こうなりたい」

「ああなりたい」

こんな声とイメージが体内でこだましているはずです。

常に、妄想が働いている状態。

妄想しない人間なんて、いないんじゃないかとも思います。

この妄想は

「今、目の前の現実よりも上のもの」

になっていて、言葉に出すと

「妄想と現実のギャップ」

を認識する。

そしてすかさず

「現実をどうやって妄想に近づけようか?」

と、思考が無意識に動き始めていることに気付きます。

妄想をひとたび言葉に出すと、実現するために世界が動き始めている

ということは、恐れず、止めず、妄想を続けて世界を動かす。

こんなことが誰にだって出来るのではないかな?と思います。

妄想は、自分の中にある自分だけの世界で展開されているので、妄想の世界は完全な自己肯定の世界かもしれません。

だから、妄想はとにかく大きく膨らませて、自分の思うがままに飛び抜けてしまって良い。

妄想が現実の遥か彼方であればあるほど、現実がその妄想に向かって大きく変化することになるので。

この、自分の中で膨らませたた妄想をふと言葉に出すと

「あいつどうした?」

はたまた

「あいつ変態だ」

と言われるかも知れませんが、全員がこのような反応をするわけではないかなと。

「その妄想、いいね!」

「最高だね!」

と認めてくれる人がきっと近くにいるはず。

こんな人たちと妄想を認め合える空間があれば、そこにいる人数分の妄想が重なり合って行くので、ものすごい何かが生まれてくるでしょう。

だから、まちづくりのリーダーは

「妄想会議」

を定期的に開催していたんだなと、1人腑に落ちた次第。

そして、今私が参加しているいくつかのプロジェクトでも

「妄想会議」

を取り入れることにしました。

この会議の効果がどう現れるのか?

私の場合は始めたばかりなのでこれからですが、妄想に限界はないので、参加する人たちの思うがままを膨らませるだけ膨らませていこうと思います。

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この記事を書いた人

組織の再生士 / アーティストを育てるアーティスト

ロボットベンチャー企業で組織作りを担いつつ、地域おこし・地域コミュニティの活性化を行っています。