草刈りの現実と意識の変化がもたらす変革

夏の時期になると、朝からエンジン式刈払機の音が響き渡ります。

草が大きく育つこの季節、地域では草刈りが一斉に行われています。

しかし、こうした草刈りの方法は本当に最適なのでしょうか?

先日、ある地域で毎年恒例の美化運動が行われ、道路周辺の整備作業が進められていました。

草丈が高くなりすぎると歩行の妨げとなり、カーブの見通しを悪化させるため、また見た目の改善を目的として行われているのですが、その実態には疑問を感じることがあります。

草刈り機で一気に草を刈り取ると、一見、景観が改善されたように思えるかもしれません。

しかし、実際には刈り取られた草が無造作に散らばり、束ねられたものもそのまま放置されています。

地際から刈り取られ散らかった感じの法面
地際から刈り取られ散らかった感じの法面

このような状態では、景観がかえって悪化してしまうのではないでしょうか。

草刈りが単なる「作業」として行われているだけで、その後の状態についてはあまり考慮されていないようです。

さらに別の場所では、植栽や植樹が中途半端に切り取られ、その枝が無造作に放り投げられていました。

無惨に刈り取られた植栽たち
無惨に刈り取られた植栽たち

学校の外周では「手入れする時間がない」との理由で、植栽が根こそぎ刈り取られてしまいました。

その結果、斜面が急激に乾燥し、土が流れ落ちて道路に堆積しています。

ここはそのうち、土埃が舞い上がったり、この堆積の上に植物が生えて道路の景観は悪化するでしょう。

植物の役割や特徴を理解して、その処置方法を適切に実行することで、自然環境に優しく、美しい景観を保つことができるのですが、現状、人にとって一般的に「草=邪魔なもの」であり、草刈りはその目障りな草を取り除くものになっています。

邪魔なものだから、手っ取り早く取り去りたい。

できるだけ手間をかけずに取り去りたい。

こういう意識が人の中で一般的になっているがゆえ、草刈りは地際で刈り込まれ、刈り取られたあとの見た目や、刈り取られたあとの場の悪化についてはどうでもよくなっているのではないかと思います。

ちなみに私自身もかつては、「草=邪魔なもの」という認識で、庭先の草が生えると必死に抜いてました。

しかし、大地の再生に出会い、植物の仕組みを学ぶことで、植物との共生がこれからの時代にはとても重要であるという意識に変わっていきました。

草刈りが単なる作業ではなく、植物との共生を考えた方法で行うべきだと。

このように、私たちの行動は知識に基づいており。

草刈りの方法を見直すためには、まず植物の役割や仕組みについて知ることが重要。

知識を得ることで、意識が変わり、その結果として行動も変わるはずです。

次世代には、こうした知識を身につけ、より良い方法で自然と共生する意識を持ってもらうようにしていきたいと思います。

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この記事を届けた人

組織の再生士 / アーティストを育てるアーティスト

ロボットベンチャー企業で組織作りを担いつつ、地域おこし・地域コミュニティの活性化を行っています。